歴史講座


活動内容

歴史講座① 鈴鹿市の戦争遺跡<新しい発見>

平成29年5月23日第1回歴史講座「鈴鹿市の戦争遺跡<新しい発見>」を開催しました。70数年前に鈴鹿にあった鈴鹿海軍航空隊、鈴鹿海軍工廠、陸軍秘匿飛行場について、パワーポイントを使って解説しました。現存する戦争遺跡を中心に館長が説明しました。次回は6月6日「文化財の魅力発信」を開催します。講師は三重県教育委員会の文化財担当職員の方を予定しています。

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鈴鹿・亀山の歴史再発見<史跡めぐり見学会>

平成28年12月6日 愛宕公民館歴史講座「鈴鹿・亀山の歴史再発見」史跡めぐり見学会を開催しました。大型バスで現地を巡りました。参加人数44名 【行程】①高田本山兼帯所 (鈴鹿市三日市町)津市の高田本山より古い伊勢地方真宗発祥の地。6寺が整然と並んでいます。寿福院には椨(たぶ)の木と真柏(しんぱく)の巨木があります。②白鳥塚古墳(鈴鹿市加佐登町 加佐登神社)ヤマトタケルの終焉伝承地の一つ。墳丘には葺石(ふきいし)が確認できます。近くに宝冠塚、宝装塚、綺宮(かんはたのみや)跡があります。 ③荒神山(鈴鹿市高塚町)江戸末期の喧嘩騒動が講談や浪曲で有名になりました。広沢虎造が建立した吉良仁吉碑があります。 ④能褒野王塚古墳(亀山市田村町  能褒野神社 )ヤマトタケルの陵墓。北勢地方最大の前方後円墳。現在も宮内庁が管理しています。 ⑤峰城(亀山市川崎町)高い土塁や戦国城郭としての縄張りがよく残る大規模中世城郭。羽柴秀吉が大軍で数か月包囲するも開城まで2ヶ月以上持ちこたえました。地元の「峯城址を守る会」と交流しました。 ⑥龍ケ池(鈴鹿市伊船町) ⑦戦争遺跡土製掩体壕(鈴鹿市追分町)終戦直前に鈴鹿市追分町から椿一宮町にかけて陸軍の飛行場が作られました。十字形の滑走路の周囲には多くの誘導路と掩体壕が造られました。現在、滑走路や誘導路は畑となり、掩体壕は戦後撤去されましたが数体の掩体壕の土塁が林の中に残っています。最近発見された掩体壕を見学しました。⑧下大久保マンボ(四日市市鹿間町)久間田神社境内にある地下トンネル水利施設。日穴が一直線に点々と続いています。

峯城の攻防については、亀山市歴史博物館HP第9章織豊政権と亀山市域・第2節天下人をめぐる戦いと伊勢国参照

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歴史講座 高田本山専修寺めぐり

高田本山専修寺(せんじゅじ)は、三重県最大の仏教寺院で、広大な境内には多くの建造物が建ち並んでいます。御影堂(みえいどう)と如来堂は国の重要文化財に指定されていましたが、平成25年に新たに山門、唐門、通天橋(つうてんきょう)、太鼓門、御廟拝堂、御廟唐門及び透塀(すきべい)、鐘楼、茶所、大玄関、対面所、賜春館(ししゅんかん)など11棟の建造物が国の重要文化財に指定されました。専修寺の建造物はいずれも規模雄大で、優れた意匠をもっています。本山寺院にふさわしい格式をもつ壮大な伽藍を創出しています。中でも御影堂は、地方寺院としては最大規模を誇り、江戸時代の優れた寺院建築です。10月2日愛宕公民館歴史講座として、15名が環濠に囲まれた寺内町(じないちょう)と本山の各建物を見て回りました。大玄関、御対面所、賜春館の特別拝観も行いました。(平成28年10月2日)

Takada Honzan Senjuji Tempe,head temple of Shinshu Takada-ha(the Shinshu Takada sect of the Jodo Shinshu Buddhist school). It is the largest Buddhist temple in Mie Prefecture. 

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伊勢国府跡を紹介しています!

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平成28年7月1日~7月15日愛宕公民館エントランスで伊勢国府跡発掘調査の写真展示を行っています。7月8日は鈴鹿市考古博物館にお願いして歴史講座「伊勢国府と伊勢国分寺」を開催します。

 

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旧海軍・陸軍飛行場の掩体壕

近澤さん作図の掩体

近澤さん作図の掩体

空中写真に写る掩体壕

空中写真に写る掩体壕

 

鈴鹿市の戦争遺跡展示を開催したところ、展示写真を見学しに来た人から飛行場に設置されていた掩体壕の話を聞くことができました。鈴鹿海軍航空基地海軍航空廠で一式陸上攻撃機の整備をしていた近澤秋男さん(亀山市在住)です。飛行場の隅に戦後も残されていた掩体壕を思い出しながら図に描いていただきました。昭和22年の米軍撮影の空中写真には、描いていただいた図と同様のコ型の掩体壕跡が写っています。陸運飛行場の誘導路に現在も残る掩体壕は馬蹄形ですが、海軍はコ型の形状だったようです。

平成28年5月29日歴史講座戦争遺跡受講者と一緒に掩体壕を見て回りました。陸軍秘匿飛行場の土製掩体壕(四日市市水沢野田町地内)と陸軍北伊勢飛行場のコンクリート製掩体壕(鈴鹿市三畑町地内)の現地確認を行いました。(平成28年5月30日)

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旧陸軍秘匿飛行場は東西南北十文字の滑走路だったことが航空写真から分っています。滑走路の東西は、長瀬神社駐車場付近から鈴鹿市農村環境改善センターまであったようです。農村環境改善センターの近くに掩体壕(鈴鹿市追分町地内)が残存しているとのことで、現地を確認しました。道路で分断されていますが、よく形状が残っています。(平成28年6月18日)

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