愛宕公民館 戦争遺跡<塹壕跡>を発掘調査

海軍工廠防空壕跡

海軍工廠防空壕跡

海軍防空壕跡

海軍防空壕跡

 

令和元年8月9日 地域の人から自宅近くに海軍の防空壕が残っているとの情報が寄せられ、現地確認をしました。菅原社(三重県鈴鹿市岸岡町)の境内斜面に残っている2か所(東側1か所、西側1か所)の大きな溝が防空壕跡でした。現在は陥没して溝状ですが、かつては横穴の防空壕で、内部両側に何段かの木製ベットがあり、多くの兵隊を収容できる規模だったようです。空襲があると250人ほどの兵隊が飛行場からここへ避難しに来たそうです。(愛宕公民館 令和元年8月9日)

 

7月11日付け中日新聞に「鈴鹿北江島 山中の溝 防空壕?塹壕?排水溝?」の記事が掲載されました。記事を読んだ近隣の人(当時二十歳)から、終戦直前に百人ほどの兵隊がスコップやツルハシで作業をしていたとの情報が愛宕公民館に寄せられました。館長がが聞き取り調査をしましたが、当時と地形が大きく変わり、場所の特定はできませんでした。終戦直前に多くの兵隊が北江島の丘陵地で作業をしていたようです。  防空壕というと横穴の大きな穴と思いがちですが、実際は小さな池状の穴だったようです。豊川市の海軍工廠跡に当時の防空壕跡が残されています。(愛宕公民館 令和元年7月20日)

 

愛宕公民館では、旧海軍の塹壕跡と思われる鈴鹿市北江島町の小山頂上部の溝を発掘調査し、壕の深さを確認しました。埋蔵文化財発掘経験が豊富な駒田利治氏の指導を受けて、2か所溝底部を発掘しました。溝底までは溝両側から崩落した土砂が何層にも堆積しており、堆積底部からガラスビン破片や木材破片が出土したので、江戸期などに掘られた溝ではないことがわかりました。2か所の発掘で、溝の深さ(現況1mほど)は、1,40m、1,26mだったことが分かりました。小山頂上部にS字状に溝が残り、塹壕の特徴をよく残しています。近くこの小山は宅地造成で消滅するため、愛宕公民館では写真と地形図で記録しました。発掘は土地所有者の了解を得て行いました。(愛宕公民館 平成31年3月29日)

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公民館近隣の自治会長から住居裏山に防空壕跡があるとの情報が寄せられました。館長とサークル生で三重県鈴鹿市北江島町の小山ので現地確認をしました。小高い小山の頂上部にS字型で深さ1m延長40m程の溝が残っています。地元の人たちは防空壕跡と言っています。隣接する家の人に聞くと、自宅と車庫の下にも建築前には長く深い溝があったとのことでした。近くには、戦時中は広大な鈴鹿海軍航空基地がありました。鈴鹿海軍航空基地を制圧するため上陸した米軍との地上戦を想定した陣地・塹壕跡と思われます。(愛宕公民館 平成31年3月21日)

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