愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-1 古代~中世 

【1】愛宕地区の移り変わり 1-1 古代~中世 

岸岡町の南に続く丘陵地は、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代、そして中世城跡を含む複合遺跡となっています。古墳、古窯、集落跡など確認されています。海岸近くは弥生時代の遺跡が分布しています。かつて岸岡山を中心に50基ほどの古墳群があったとされていますが、現在は現存22基、消滅18基(1号墳は調査の結果、古墳でなかったため欠番)となっています。

愛宕2号墳から銅鏡「七鈴鏡」がしました。径11.8㎝。鈴鏡(れいきょう)は古墳時代後期に製造された銅鏡で、7個のうち4個が欠損し3個が付設しています。振ると良い音がします。 25号墳・27号墳では家形埴輪が出土しています。平成9年の公園管理用道路建設のための調査では、弥生後期の竪穴住居跡33棟が発掘されています。

 中世城址の岸岡城跡は、古墳を利用して作られており、城主佐藤中務は神戸氏の配下で高岡城主の山路弾正とともに神戸六奉行の一人でした。