愛宕の歴史 【4】愛宕地域の祭礼・伝統行事 4-2 春日神社

  原永春日神社の歴史(神社祠の裏に保管されている棟札より転記)
・宝暦3年(1753)遷宮春日太明神(最初の棟札、その後も約20年毎に遷宮) ・明治35年 遷宮  ・明治42年 若松村南若松原永にあった春日社を小川神社に合祀 ・ 大正4年 神社跡地に遥拝所を設置し祭典を執行 ・ 昭和3年 小川神社から分神を受け原永春日神社誕生  ・ 昭和29年 遷宮 ・昭和54年 遷宮  ・ 平成7年 稲荷神社造営(建替)     秋の例祭では2台の神輿(みこし)が原永地内を曳きまわされます。

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愛宕の歴史 【4】愛宕地域の祭礼・伝統行事 4-3地蔵堂

4-3  地蔵堂(鈴鹿市江島6丁目)   江戸時代、寺家・白子から江戸方面へ型紙等の行商に出る人は、この地蔵さんに無事を祈り旅立ちました。 8月24日の縁日は多くの夜店でにぎわいます。昭和40年代中頃までは役者を呼んで田舎芝居が興行されていました。 8月25日には、伊勢山上(いせさんじょう)柴燈護摩(採灯護摩 さいとうごま)法要が行われます。井桁(いげた)に積み上げた護摩木に点火し、山伏姿の修験者による護摩法要が行われます。

 

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愛宕の歴史 【4】愛宕地域の祭礼・伝統行事 4-4 菅原社

4-4 菅原社(鈴鹿市岸岡町 <打越>)
現在の本殿は平成21年3月建替え竣工しました。
年間行事 <1月>元旦祭 <3月>春祭り(初午祭) 湯の華神事、厄除け・長寿祝い祭事、宅神祭  <10月>秋祭り(天神祭) 秋の例祭と菅原道真公を祭る天神祭   神社境内敷地地下には、旧海軍の燃料や弾薬を貯蔵する隧道がありました。境内には第二次大戦で出征しアジア各地で亡くなられた戦没者8名の方の忠魂碑が建立されています。 

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愛宕の歴史 【4】愛宕地域の祭礼・伝統行事 4-5愛宕神社

atagozinzya14-5  愛宕神社 (鈴鹿市北江島町)    伊勢路見取絵図(文化3年)や小笠原領地図(文化元年)に愛宕神社が山頂にあったことが記されています。明治42年江島若宮八幡神社に合祀されましたが、昭和24年愛宕山頂に再度祭られることになりました。

愛宕の歴史 【5】産業・交通  5-1白江野用水  5-1-1 水路建設

5-1-1  白江野用水(しろえのようすい)水路建設
武道館北側~江島台~旧伊勢街道沿い~地蔵堂~江島神社東側に白江野用水が通っています。  白江野用水は、明治13年(1880)用水建設の試掘願いが出され、明治14年工事を着工し明治20年鬼ケ淵にたどり着きました。しかし、水量不足から第2水源を求め、明治28年葉山川(現在の平野川)の引き込み口を、さらに鈴鹿川堤防外に湧水池を作り水源地としました。 現在の水源地は、鈴鹿川堤防拡張工事により現位置に移設されたものだとのことです。 工事期間15年、延長約10kmの農業用かんがい用水路です。「白江野用水」の名称は、白子・江島・野町の3か所の村の頭文字をとったものです。 参考:「白江野用水百年のあゆみ」白江野土地改良区(昭和54年)


 

愛宕の歴史 【5】産業・交通  5-1 白江野用水 5-1-3 用水路工事

5-1-3 白江野用水の用水路工事    参考:白江野土地改良区「白江野用水百年のあゆみ」

 

本田技研工業鈴鹿製作所北側にあった旧平田野中学校前の深い掘割は用水建設当時のありさまを残す唯一の遺構でしたが、現在は埋め立てられ難工事であったことを知ることができません。白江野用水は、現在も農業用水として利用されています。

愛宕の歴史 【5】産業・交通 5-2伊勢型紙 5-2-1 小本(こほん)<伝統文化の継承>

5-2 伊勢型紙
5-2-1 伊勢型紙 小本(こほん)
伊勢型紙の制作工程で最も重要で精緻な技術を必要とする小本(こほん)が、平成30年11月愛宕公民館に寄贈されました。平成31年1月11日小本の原本は鈴鹿市文化財課に移管しました。 小本は型紙職人の技術の結晶で、職人が廃業とともに処分するため、一般的には出回ることがほとんどありません。
 <行程> ①図案の素描⇒ ②小本の彫刻(四方に送り星の付いた型紙を彫刻)⇒ ③小本写し(小本を型地紙に刷毛で文様を写す。)⇒ ④彫刻(文様を彫り進める)

 伊勢型紙の製作技術は、わが国の染色工芸の基盤といえ、芸術的・工芸史的にも重要であり、地方的特色の顕著な工芸技術として高く評価されています。平成5年(1993)「伊勢型紙彫刻技術」が国重要無形文化財に指定され、「伊勢型紙技術保存会」が国の重要無形文化財「伊勢型紙」の保持団体に認定されました。会員12名  、伝承養成者17名。伝統文化の継承に重要な役割をはたしています。        伊勢型紙彫職人は、江戸後期文政6年(1823)には寺家村163人、白子村45人(両村で208人)を数えるが 江島村は不明となっています。(参考:「三重県史 通史編 近世2」p.349)  昭和27年は型紙彫刻150人、型地紙製造20人となっています。(参考:鈴鹿市大観)                          

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愛宕の歴史 【5】産業・交通 5-2 伊勢型紙 5-2-2 型地紙 

5-2-2 伊勢型紙の型地紙(かたじがみ 渋紙)の製造工程作業
①柿渋と美濃和紙 ②紙つけ ③生紙張り ④天日干し ⑤こそげ ⑥室枯らし  katazigami5 <㈱大杉型紙工業で撮影>

伊勢型紙型地紙の生産工場は減り、現在は鈴鹿市白子に2社ほどになっています。 伊勢型紙の展示:鈴鹿市伝統産業会館、伊勢型紙資料館  伊勢型紙の歴史:伊勢形紙協同組合HP