伊勢型紙活用例<行灯>

 

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伊勢型紙小本写真撮影データを活用して行灯(あんどん)を作りました。企画設計は平子隆之公民館長が、行灯木枠制作は愛宕公民館サークル生の軣(とどろき)英隆さんが行いました。前回はH57、W36×36の寸法の行灯でしたが、今回はH60、W34×26の長方形の行灯にしました。今回の行灯の前面伊勢型紙は鈴鹿工業高等専門学校の協力を得てレーザーで制作したものです。 愛宕公民館では、伊勢型紙の周知のため、伊勢型紙小本データで装飾した行灯の展示に協力していただけるところを探しています。(令和元年5月3日)

 

 

ISE KATAGAMI KOHON ―Their technique, their beauty  ”Traditional japanese stencil design” 伊勢型紙 

Ise Paper StenciisーTraditional japanese stencil designー  Ise paper stencils are used in dyeing fabrics,principally Kimono fabrics.  <Process of production> Drawing design ⇒Carving small model<kohon> ⇒Copy of the carved design ⇒Carving the final model.  Atago community center phone:059-388-5909 (Suzuka City,Mie Prefecture)                       

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伊勢型紙<糸入れ・紗張り> 寄贈作品を移管

愛宕公民館に寄贈していただいた伊勢型紙「糸入れ」「紗張り」作品と伊勢型紙彫刻道具を、鈴鹿市文化財課に移管しました。鈴鹿市役所で石坂部長、谷口文化財課主幹に説明、引き渡しました。今後とも、地域の方々に伊勢型紙の寄贈を呼びかけ、展示、管理、文化財課への移管を行うととも、型紙データの活用を検討していきます。(平成31年4月12日)

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地域の方から伊勢型紙「糸入れ」と「紗張り」の作品及び型紙彫刻道具を寄贈していただきました。愛宕公民館エントランスで、糸入れ作品と紗張り作品を展示しています。「糸入れ」は、伊勢型紙の彫刻された型模様を固定するために細い絹糸を支えとして張り渡す技術です。型紙を二枚にはがし、彫刻した型紙の一枚を糸入れ作業する枠に置いて糸を張り、そのうえから先にはがした型紙を正確に重ね会わせて貼っていきます。現在では、糸入れの技法に代わり、薄い紗を張って型を補強する「紗張り」が広く行われていますが、精緻な縞彫りは紗張りでは対応できず、糸入れが不可欠な技法となっています。(平成31年3月18日)

①糸入れ(縦)

①糸入れ(縦)

②糸入れ(縦と横)

②糸入れ(縦と横)

戦争遺跡<塹壕跡>を発掘調査

旧海軍の塹壕跡と思われる鈴鹿市北江島町の小山頂上部の溝を発掘調査し、壕の深さを確認しました。駒田利治氏の指導を受けて、2か所溝底部を発掘しました。溝底までは溝両側から崩落した土砂が何層にも堆積しており、堆積底部からガラスビン破片や木材破片が出土したので、江戸期などに掘られた溝ではないことがわかりました。2か所の発掘で、溝の深さ(現況1mほど)は、1,40m、1,26mだったことが分かりました。小山頂上部にS字状に溝が残り、塹壕の特徴をよく残しています。近くこの小山は宅地造成で消滅するため、愛宕公民館では写真と地形図で記録しました。発掘は土地所有者の了解を得て行いました。(平成31年3月29日)

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三重県鈴鹿市北江島町で旧海軍の塹壕跡と思われる溝を調査しました。小高い小山の頂上部にS字型で深さ1m延長40m程の溝が残っています。地元の人たちは防空壕跡と言っています。隣接する家の人に聞くと、自宅と車庫の下にも建築前には長く深い溝があったとのことでした。小山頂上部と周辺で2重の塹壕ラインがあったと思われます。近くには、戦時中は広大な鈴鹿海軍航空基地がありました。鈴鹿海軍航空基地を制圧するため上陸した米軍との地上戦を想定した陣地・塹壕跡と思われます。(平成31年3月21日)

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「伊勢型紙 小本(こほん)」を市文化財課に移管 

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愛宕公民館に寄贈された伊勢型紙小本について、鈴鹿市文化財課に移管するに当たり寄贈者生田裕子さん、平子愛宕公民館長、磯部公民館運営委員長の3名で鈴鹿市副市長を表敬訪問しました。伊勢型紙「こほん」700点、彫刻刃・砥石・丸刷毛などの道具を副市長に説明しました。館長から副市長に「こほん」の写真データを今後どのように活用していくかについても説明しました。(平成31年1月11日)

平成30年12月18日~12月28日愛宕公民館エントランスで「伊勢型紙 小本~その技と美」を開催(土・日・祭日は休館)しています。今回、伊勢型紙の制作工程で最も重要で精緻な技術を必要とする「小本(こほん)」が地域の方から愛宕公民館に寄贈されました。広く伊勢型紙を知っていただくため、小本の一部を展示しています。展示内容:伊勢型紙こほん<入替展示>、彫刻道具<刃、刷毛、砥石実物展示>、型地紙(渋紙)製造工程<パネル展示>  伊勢型紙の制作工程:図案の素描⇒こほん型の彫刻こほん写し彫刻  小本は型紙職人の技術の結晶です。今回、散逸する前に愛宕公民館が入手できました。一般的に出回らないため、貴重なものだと思われます。 地域の方で伊勢型紙に係る遺品、道具などありましたら、愛宕公民館に御連絡ください。(平成30年12月18日)

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伊勢型紙の製造行程

伊勢型紙フェスタ「匠の里」開催に合わせ、伊勢型紙の型地紙製造所の一般公開があり見学してきました。㈱大杉型紙工業の職人さんから型地紙(かたじがみ 渋紙)の製造行程を教えていただきました。①柿渋と美濃和紙 ②紙つけ ③生紙張り ④天日干し ⑤こそげ ⑥室枯らし の実際の作業を見ることができました。  先日、伊勢型紙の「こほん」や彫る道具が愛宕公民館に寄贈されたので、伊勢型紙についての解説展示企画を準備しています。(平成30年11月10日)

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伊奈冨神社獅子舞

伊奈冨神社(いのうじんじゃ 三重県鈴鹿市稲生西2丁目)では、3年ごとに4頭の獅子が舞う獅子神楽(ししかぐら)が行われます。稲生町内の各地区や寺院を巡回して行われます。獅子4頭、口取り4名で構成されます。4月は15日、16日にあります。三重県指定無形民俗文化財です。写真撮影:愛宕公民館写真サークル 坂正道さん

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鈴鹿・亀山の歴史再発見<史跡めぐり見学会>

平成28年12月6日 愛宕公民館歴史講座「鈴鹿・亀山の歴史再発見」史跡めぐり見学会を開催しました。大型バスで現地を巡りました。参加人数44名 【行程】①高田本山兼帯所 (鈴鹿市三日市町)津市の高田本山より古い伊勢地方真宗発祥の地。6寺が整然と並んでいます。寿福院には椨(たぶ)の木と真柏(しんぱく)の巨木があります。②白鳥塚古墳(鈴鹿市加佐登町 加佐登神社)ヤマトタケルの終焉伝承地の一つ。墳丘には葺石(ふきいし)が確認できます。近くに宝冠塚、宝装塚、綺宮(かんはたのみや)跡があります。 ③荒神山(鈴鹿市高塚町)江戸末期の喧嘩騒動が講談や浪曲で有名になりました。広沢虎造が建立した吉良仁吉碑があります。 ④能褒野王塚古墳(亀山市田村町  能褒野神社 )ヤマトタケルの陵墓。北勢地方最大の前方後円墳。現在も宮内庁が管理しています。 ⑤峰城(亀山市川崎町)高い土塁や戦国城郭としての縄張りがよく残る大規模中世城郭。羽柴秀吉が大軍で数か月包囲するも開城まで2ヶ月以上持ちこたえました。地元の「峯城址を守る会」と交流しました。 ⑥龍ケ池(鈴鹿市伊船町) ⑦戦争遺跡土製掩体壕(鈴鹿市追分町)終戦直前に鈴鹿市追分町から椿一宮町にかけて陸軍の飛行場が作られました。十字形の滑走路の周囲には多くの誘導路と掩体壕が造られました。現在、滑走路や誘導路は畑となり、掩体壕は戦後撤去されましたが数体の掩体壕の土塁が林の中に残っています。最近発見された掩体壕を見学しました。⑧下大久保マンボ(四日市市鹿間町)久間田神社境内にある地下トンネル水利施設。日穴が一直線に点々と続いています。

峯城の攻防については、亀山市歴史博物館HP第9章織豊政権と亀山市域・第2節天下人をめぐる戦いと伊勢国参照

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郷土史 「竜が池物語」が発刊されました

元公民館職員だった桑山真理子さんが作画した「漫画で読む郷土史 竜が池物語」が公民館へ寄贈されましたので、図書コーナーへ配架しました。江戸時代前期の寛文5年(1665)伊船村(現在の三重県鈴鹿市伊船町)が水不足のため、村の東の谷を堰き止め溜め池を作る築堤工事を行った際に、お龍(りゆう)さんという女性がその犠牲となって完成したという伝承があります。池の名を「竜ヶ池」といい、池の水は伊船村のみならず下流域にも恩恵をもたらし現在にまで及んでいます。お龍さんの碑は昭和35年に建立されたものです。(参考:鈴鹿市史第2巻p493)<平成28年8月14日>

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旧海軍・陸軍飛行場の掩体壕

近澤さん作図の掩体

近澤さん作図の掩体

空中写真に写る掩体壕

空中写真に写る掩体壕

 

鈴鹿市の戦争遺跡展示を開催したところ、展示写真を見学しに来た人から飛行場に設置されていた掩体壕の話を聞くことができました。鈴鹿海軍航空基地海軍航空廠で一式陸上攻撃機の整備をしていた近澤秋男さん(亀山市在住)です。飛行場の隅に戦後も残されていた掩体壕を思い出しながら図に描いていただきました。昭和22年の米軍撮影の空中写真には、描いていただいた図と同様のコ型の掩体壕跡が写っています。陸運飛行場の誘導路に現在も残る掩体壕は馬蹄形ですが、海軍はコ型の形状だったようです。

平成28年5月29日歴史講座戦争遺跡受講者と一緒に掩体壕を見て回りました。陸軍秘匿飛行場の土製掩体壕(四日市市水沢野田町地内)と陸軍北伊勢飛行場のコンクリート製掩体壕(鈴鹿市三畑町地内)の現地確認を行いました。(平成28年5月30日)

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旧陸軍秘匿飛行場は東西南北十文字の滑走路だったことが航空写真から分っています。滑走路の東西は、長瀬神社駐車場付近から鈴鹿市農村環境改善センターまであったようです。農村環境改善センターの近くに掩体壕(鈴鹿市追分町地内)が残存しているとのことで、現地を確認しました。道路で分断されていますが、よく形状が残っています。(平成28年6月18日)

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