鈴鹿・亀山の歴史再発見<史跡めぐり見学会>

平成28年12月6日 愛宕公民館歴史講座「鈴鹿・亀山の歴史再発見」史跡めぐり見学会を開催しました。大型バスで現地を巡りました。参加人数44名 【行程】①高田本山兼帯所 (鈴鹿市三日市町)津市の高田本山より古い伊勢地方真宗発祥の地。6寺が整然と並んでいます。寿福院には椨(たぶ)の木と真柏(しんぱく)の巨木があります。②白鳥塚古墳(鈴鹿市加佐登町 加佐登神社)ヤマトタケルの終焉伝承地の一つ。墳丘には葺石(ふきいし)が確認できます。近くに宝冠塚、宝装塚、綺宮(かんはたのみや)跡があります。 ③荒神山(鈴鹿市高塚町)江戸末期の喧嘩騒動が講談や浪曲で有名になりました。広沢虎造が建立した吉良仁吉碑があります。 ④能褒野王塚古墳(亀山市田村町  能褒野神社 )ヤマトタケルの陵墓。北勢地方最大の前方後円墳。現在も宮内庁が管理しています。 ⑤峰城(亀山市川崎町)高い土塁や戦国城郭としての縄張りがよく残る大規模中世城郭。羽柴秀吉が大軍で数か月包囲するも開城まで2ヶ月以上持ちこたえました。地元の「峯城址を守る会」と交流しました。 ⑥龍ケ池(鈴鹿市伊船町) ⑦戦争遺跡土製掩体壕(鈴鹿市追分町)終戦直前に鈴鹿市追分町から椿一宮町にかけて陸軍の飛行場が作られました。十字形の滑走路の周囲には多くの誘導路と掩体壕が造られました。現在、滑走路や誘導路は畑となり、掩体壕は戦後撤去されましたが数体の掩体壕の土塁が林の中に残っています。最近発見された掩体壕を見学しました。⑧下大久保マンボ(四日市市鹿間町)久間田神社境内にある地下トンネル水利施設。日穴が一直線に点々と続いています。

峯城の攻防については、亀山市歴史博物館HP第9章織豊政権と亀山市域・第2節天下人をめぐる戦いと伊勢国参照

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郷土史 「竜が池物語」が発刊されました

元公民館職員だった桑山真理子さんが作画した「漫画で読む郷土史 竜が池物語」が公民館へ寄贈されましたので、図書コーナーへ配架しました。江戸時代前期の寛文5年(1665)伊船村(現在の三重県鈴鹿市伊船町)が水不足のため、村の東の谷を堰き止め溜め池を作る築堤工事を行った際に、お龍(りゆう)さんという女性がその犠牲となって完成したという伝承があります。池の名を「竜ヶ池」といい、池の水は伊船村のみならず下流域にも恩恵をもたらし現在にまで及んでいます。お龍さんの碑は昭和35年に建立されたものです。(参考:鈴鹿市史第2巻p493)<平成28年8月14日>

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旧海軍・陸軍飛行場の掩体壕

近澤さん作図の掩体

近澤さん作図の掩体

空中写真に写る掩体壕

空中写真に写る掩体壕

 

鈴鹿市の戦争遺跡展示を開催したところ、展示写真を見学しに来た人から飛行場に設置されていた掩体壕の話を聞くことができました。鈴鹿海軍航空基地海軍航空廠で一式陸上攻撃機の整備をしていた近澤秋男さん(亀山市在住)です。飛行場の隅に戦後も残されていた掩体壕を思い出しながら図に描いていただきました。昭和22年の米軍撮影の空中写真には、描いていただいた図と同様のコ型の掩体壕跡が写っています。陸運飛行場の誘導路に現在も残る掩体壕は馬蹄形ですが、海軍はコ型の形状だったようです。

平成28年5月29日歴史講座戦争遺跡受講者と一緒に掩体壕を見て回りました。陸軍秘匿飛行場の土製掩体壕(四日市市水沢野田町地内)と陸軍北伊勢飛行場のコンクリート製掩体壕(鈴鹿市三畑町地内)の現地確認を行いました。(平成28年5月30日)

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旧陸軍秘匿飛行場は東西南北十文字の滑走路だったことが航空写真から分っています。滑走路の東西は、長瀬神社駐車場付近から鈴鹿市農村環境改善センターまであったようです。農村環境改善センターの近くに掩体壕(鈴鹿市追分町地内)が残存しているとのことで、現地を確認しました。道路で分断されていますが、よく形状が残っています。(平成28年6月18日)

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鈴鹿市の戦争遺跡 <残存施設写真展示・戦争遺跡講演会>

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鈴鹿市には、70年前に大規模な軍施設がたくさんありました。滑走路が2本もあった「鈴鹿海軍航空基地」、現在は近代的工場や大規模商業施設が立地している「鈴鹿海軍工廠」、長沢町近くに作られ東西南北十文字の滑走路の幅が100m近くもあった「陸軍秘匿飛行場」などです。

鈴鹿市にかつてあったこれらの大規模軍施設を知る人は少なくなってきました。今も鈴鹿市内(一部亀山市内)に残る軍関係施設を撮影した写真・資料を展示します。平和の大切さを伝える遺産として考えてみませんか。

【展示期間】平成28年5月9日(月)~5月20日(金)【展示場所】愛宕公民館エントランス 

IMG_0006IMG_0008【展示内容】・鈴鹿海軍航空基地施設位置図 ・鈴鹿海軍航空基地跡の航空写真 ・鈴鹿海軍航空基地現存誘導路(掩体道) ・鈴鹿海軍航空基地滑走路排水路跡  ・鈴鹿海軍工廠残存施設 ・鈴鹿海軍工廠施設位置図 ・鈴鹿海軍工廠疎開地下工場跡(亀山市関町) ・北伊勢陸軍飛行場コンクリート製掩体 ・陸軍秘匿飛行場土製掩体(掩体壕)など52点    今回は特に、飛行場の戦闘機を米軍の爆撃から避難させるための誘導路跡や戦闘機や爆撃機を隠した掩体(えんたい)跡、英語併記の海軍工廠施設図など珍しい写真・資料を展示しました。

【講演会開催】平成28年5月15日(日)午後1時30分から浅尾悟(白子中学校教諭)さんを講師として鈴鹿市の戦争遺跡について講演会を開催しました。白子海軍航空基地について、詳しい説明がありました。会場では白子海軍航空基地の掩体の位置を示した配置図を会場に掲示していただき、現況では分らなくなっている誘導路(掩体道)や掩体壕の位置などがあきらかになりました。貴重な関係資料の展示もあり、次世代に伝えるべき内容の講座でした。

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白江野用水水源地 ①

白江野用水誕生取水ゲート

 

市武道館北側~江島台~愛宕の旧伊勢街道沿いに、白江野用水が通っています。白江野用水は、明治13年(1880)用水建設の試掘願いが出され、明治14年(1881)工事を着工し明治20年鬼ケ淵にたどり着きました。しかし、水量不足から第2水源を求め、明治28年(1895)葉山川(現在の平野川)の引込口(写真右)を、さらに鈴鹿川堤防外に湧水池を作り水源地としました。現在の水源地湧水池は、鈴鹿川堤防拡張工事により現位置に移設されたものだとのことです。工事期間15年、延長約10kmの農業用かんがい用水路です。「白江野(しろえの)用水」の名称の由来は、白子・江島・野町の3か所の村の頭文字をとったものです。(参考:「白江野用水百年のあゆみ」白江野土地改良区 昭和54年)

掘割跡

掘割跡

掘割

掘割

 

 

昭和30年代には、旧平田野中学校前に城の空堀のような大きな掘割りが残っていました。今は駐車場として埋め立てられています。旧校舎フェンス近くに現在も掘割の一部が残っています。掘割の下にトンネルの水路が掘ってあり、大規模な難工事を表す唯一の場所です。この掘割も近く埋め立てられるとのことです。<平成28年4月14日訪れた時は埋められていました。>旧平田野中学校付近は掘割でしたが、旭化成敷地~大池地内は、昭和30年代には既に暗渠(地下水路)となっていました。(平成27年7月11日)

昭和22年米軍撮影の鈴鹿海軍工廠跡

昭和22年米軍撮影の鈴鹿海軍工廠跡

用水建設当初の用水上流部は、すべて掘割だったとことです。昭和22年米軍撮影の鈴鹿海軍工廠跡空中写真を見ると、海軍工廠敷地内(現在のホンダ鈴鹿工場正門前と旧平田野中学校の間、旭化成工場敷地内)に白江野用水の掘割がはっきりと写っています。

 

 

 

 

写真①:筒井川と用水路の交差点工事(明治22年)  写真②:鈴鹿川堤防から見た水源地。水源地の真ん中に井戸が掘られているとのこと。道路の向こうは平野町   写真③:水源地の湧水は葉山川へと流れる。写真右は鈴鹿川堤防。  写真④:葉山川からの取水ゲート(平野町)

三重県鈴鹿の食文化<郷土料理>

三重県は南北に長く、伊勢湾や熊野灘に面して気候は温暖で豊富な農林水産物と食文化があります。三重県鈴鹿市に昔から伝わる郷土料理として「がらがら」と「いばら餅」を紹介します。「がらがら」は鈴鹿市下大久保町や四日市市鹿間町に伝わる郷土料理です。

がらがらは、昔から伝わるダイコンの郷土料理です。法事などの人寄りの時に作られます。がらがらを作るときにダイコンをおろすための専用の「おろし器」を使用します。

がらがら1-1がらがら2-2がらがら3-3がらがら4がらがらおろし器

 

 

 

 

 

 

鈴鹿市や亀山市では、農作業の野上がりの時などには「いばら餅」や「かしわ飯(とり飯)」が食べられました。いばら餅は、山の斜面などに自生しているイバラの葉を使います。小麦粉で作った生地を手のひらで伸ばし、中にあんこを入れて丸く包み込み、イバラの葉で挟み込みます。蒸し器で葉の色が茶色になるまで蒸しあげます。鈴鹿では「いばら餅」と言いますが、亀山地方では「どっかん餅」とも言います。

いばら餅(どっかん餅)

いばら餅(どっかん餅)

かしわ飯(とり飯)

かしわ飯(とり飯)

伊勢街道に残る街道遺産<1>

鈴鹿市神戸(かんべ)見附け跡から津市上浜町伊勢別街道追分まで

伊勢街道は、日永の追分(三重県四日市市)から東海道から分岐して、伊勢湾沿いに南下し伊勢へと至る街道で、江戸時代は東海道に次いで交通量の多い街道でした。伊勢街道のような歴史的街道には、有形無形の様々な歴史的遺産(街道遺産)が残されています。

道路元票(鈴鹿市神戸2丁目)

道路元票(鈴鹿市神戸2丁目)

神社仏閣、道標、常夜灯、地蔵、山の神、格子のある伝統的な表構えの家、古木、伝統工芸(伊勢型紙、鈴鹿墨など)、民族芸能(唐人踊り、獅子舞など)、街道名物(餅菓子など)、民謡・言い伝えなど貴重な文化遺産に触れることができます。伊勢参宮街道は曲がり角が多いため、道に迷わないための道標が建てられ、数多く残されています。

街道沿いの町並みでは、連子格子・切子格子、出格子・平格子、虫籠窓、袖壁、持送りなど日本家屋の伝統的建築技術を見ることができます。江島・白子・寺家の家並みには、連子格子切子格子(きりこごうし、親子格子とも呼ばれる)の家が多く見られます。この地域の切子格子は、親2本、子2本(切子2本)が多いようです。

街道が二つに分かれる場所を追分(おいわけ)といいます。白子から磯山を通り河芸町にはいると、「伊勢街道」と「巡礼道」の追分に甕釜冠地蔵堂(三重県津市河芸町東千里)があります。津市栗真町屋町で伊勢街道と巡礼道が合流し、常夜灯、道標、松の古木が残る追分となっています。巡礼道は、下街道、浜街道とも呼ばれ伊勢街道より古い街道とも言われています。

津市河芸町上野の旧上野宿の西側台地上に伊勢上野城跡があります。崖のような本丸土塁など中世城郭の形をよく残した史跡です。

津市上浜町「江戸橋」西詰めは、伊勢街道と「伊勢別街道」の追分で、常夜灯と道標が残っています。  愛宕公民館では、今後、伊勢街道歴史ウオークを計画してみます。