神戸石取祭フォトコンテスト

神戸石取祭百二十周年フォトコンテストの応募作品が、鈴鹿市役所1階市民ギャラリーで展示されています。展示は6月24日まで。愛宕公民館写真サークルの川本修さんが鈴鹿市長賞に選ばれました。(令和元年6月21日)

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松平氏遺跡<大給城跡・松平城跡>

愛知県豊田市の松平郷は、徳川家康の祖先の松平氏発祥の地です。山々に囲まれた山里には、徳川の始祖・松平氏の残した幾多の史跡が今も息づいています。松平氏館跡(松平東照宮)、高月院、松平城跡、大給城跡の4ヶ所が初期松平氏の状況をよく伝えていることから、一括して松平氏遺跡として国指定史跡となっています。  特に大給城(おぎゅうじょう)跡は、規模は大きく、断崖に囲まれた曲輪、地形を巧みに利用した縄張り、城跡に点在する巨石群、全国的にも珍しい水ノ手曲輪など戦国要害山城としての特徴をよく残しています。  愛宕公民館歴史講座10月9日史跡見学では、松平東照宮と高月院を訪れる予定です。(令和元年6月16日)

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鈴鹿市芸術文化協会美術部門展<彫刻>

令和元年6月16日 鈴鹿市文化会館で「鈴鹿市芸術文化協会美術部門展」が開催されました。愛宕公民館主催事業(彫刻)で講師を務め、日展作家でもある上原正廣さんの彫刻作品を見てきました。上原正廣さんは、スタイロフォームと和紙で動物作品を作ります。

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みえ県展<サークル生が写真部門入選>

第70回みえ県展写真部門に、愛宕公民館写真サークル生2名が入選しました。写真部門では数多くの応募点数があり、出品数358・入選入賞181でした。川本修さん「工場灯りに身をゆだね」、坂 孝さん「祈 願」(令和元年6月1日)

川本修「工場灯りに・・」

川本修「工場灯りに・・」

坂 孝「祈 願」

坂 孝「祈 願」

三重県鳥羽志摩地方の海女

令和元年5月20日 文化庁は、地域の有形・無形の文化財をテーマでまとめ、魅力を発信する「日本遺産」に新たに16件を認定しました。三重県内から「海女(Ama)に出逢えるまち 鳥羽志摩~素潜り漁に生きる女性たち」が認定されました。

鳥羽・志摩地方の海女 

  漁労の中で裸潜水の作業により採貝、採藻などに従事するものをさして「アマ」といいます。近年は、女のアマを「海女」、男のアマを「海士」と書いて区別するようになっています。海女の作業は、昔も今もアワビ、サザエ、トコブシ、ウニ、海藻などを素潜りで獲ってくる伝統漁法です。

 大正時代までは上半身裸が普通でしたが、昭和初期からは、一般的に白木綿の磯着(いそぎ)を着るようになりました。昭和40年ころからゴム製のウエットスーツの着用が始まり、現在では、健康面からも全ての地区でウエットスーツを着用しています。現在、海女の白い磯着が見られるのは、観光・イベントなどに限られています。

 現在の海女の写真は鳥羽市石鏡(いじか)の海女さんです。古橋清子さん(度会町)が鳥羽市石鏡に何度も通い海女さんの了解を得て撮影したものです。江戸時代後期に海女の姿が多くの浮世絵で描かれていますが、伝聞で描いたものと思われます。着ているものや漁で使う道具が違っています。明治に三重県が水産博覧会に出品した「三重県水産図説」に描かれている海女の姿と比べてみてください。

 海女の数は年々減少しています。三重県では、昭和24年に約6,000人いた海女が、平成15年には約1,600人(海女・海士)となっていました。三重県教育委員会の平成22・23年度「海女習俗基礎調査」による就業者は、海女978人、海士316人でした。海女の専業という状況は存在しませんでした。海の博物館の平成26年調査では、海女761人、海士288人でした。

 海女漁の技術は、平成26年1月23日に「鳥羽・志摩の海女による伝統的素潜り漁技術」として三重県無形民俗文化財に指定され、平成29年3月3日に「鳥羽・志摩の海女漁の技術」の名称で国の重要無形民俗文化財に指定されました。文化財としての「海女漁の技術」は、三重県の「鳥羽・志摩の海女漁の技術」(平成29年3月)と石川県輪島市の「輪島の海女漁の技術」(平成30年3月)の2件が国重要無形民俗文化財に指定されています。今後、ユネスコ無形文化遺産に登録されることが期待されます。

フナドアマ

フナドアマ

カチドアマ

カチドアマ

カチドアマ(2)

カチドアマ(2)

明治前半期のアワビ漁の図(三重県水産図説 明治14年)

明治前半期のアワビ漁の図(三重県水産図説 明治14年)

浮世絵に描かれた海女 (東京国立博物館蔵)

浮世絵に描かれた海女
(東京国立博物館蔵)

 

鈴鹿市の中世城郭

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令和元年5月17日 鈴鹿山麓に残る中世城郭を現地調査しました。鈴鹿山脈東麓には、集落ごとに中世戦国期の城跡が残っています。「大久保城」(三重県鈴鹿市大久保町)は法雲寺北側に残る鈴鹿市内で最大の中世城郭です。二重に土塁が巡り、西側土塁は高さ4m 上幅3~5m、南側内土塁は高さ2~3.5m 上幅2~5m、東側内土塁は高さ2.5m 上幅1~4m、南外土塁高さ1.5mの現状を確認できます。(寸法は伊藤氏調査を参考) 南側は高い内土塁と空堀さらに低い外土塁と空堀が残り戦国城郭の形状を今にとどめています。土地所有者の話では、内堀はかつては深い堀だったとのことでした。城郭の北側半部は破壊され平地の耕作地となっています。近隣の人の話では、10数年前まで土塁らしきものが残っていたとのことでした。伊藤氏の平成13年調査図面でも北側に低土塁らしき形状が描かれています。 「山本城」(鈴鹿市山本町)は西岸寺裏山に土塁がめぐる郭と空堀が残っています。丘陵西端に郭を配置し、東と南へは自然地形の尾根が続いています。これら城跡は史跡指定されていないため、破壊が心配されます。   城跡は2城ともCバス「大久保」下車5分程度です。参考:伊藤徳也「再発見 北伊勢国の城」 鈴鹿市教育委員会「鈴鹿市の文化財」

大久保城南側内土塁

大久保城南側内土塁

大久保城内空堀

大久保城内空堀

大久保城南外堀

大久保城南外堀

山本城方形郭と土塁

山本城方形郭と土塁

山本城郭を区切る堀

山本城郭を区切る堀

伊勢型紙小本(こほん)と地域資源活用

令和元年5月14日  愛宕公民館講座「伊勢型紙と地域資源活用」を開催しました。伊勢型紙小本(こほん)の写真データを地域資源としてどのように活用していけばよいか論議しました。➀伊勢型紙と鈴鹿墨(鈴鹿市文化財課) ②伊勢型紙とレーザー技術(鈴鹿工業高等専門学校) ③伊勢型紙と布プリント作品 ④伊勢型紙と行灯作品  伊勢型紙データの活用例(タペスットリー作品、行灯作品、レーザー作品)などを展示しました。日本家屋室内装飾での使用、先進自動車の装飾などに検討したいと思っています。講座では、鈴鹿工業高等専門学校材料工学科職員の中川沙織さんにレーザー加工の解説、作品説明、手ぬぐい生地への型紙模様プリント実演をしていただきました。レーザー加工技術⇒鈴鹿工業高等専門学校HP  (令和元年5月14日)

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伊勢型紙「こほん」は、着物の柄の彫刻なのでその芸術的デザインは注目すべきところがあります。小本の写真データを日本手ぬぐいの染めに活用してみました。写真①は、「ほて幸」藤田幸義さんに試作していただいたインクジェットプリント染め作品です。写真②は、鈴鹿工業高等専門学校材料工学科 江崎尚和教授の指導により試作した手ぬぐいタペストリーです。(平成31年3月7日)

①ほて幸試作手ぬぐい

①ほて幸試作手ぬぐい

②鈴鹿高専試作手ぬぐい

②鈴鹿高専試作手ぬぐい

 

 

 

 

 

 

 

伊勢型紙こほんの写真データを染型に活用できないか、手ぬぐい、のれん、のぼり旗などの制作に実績のある鈴鹿市神戸「ほて幸」藤田幸義さんと協議しました。写真データから3パターンを使い手ぬぐいを試作することになりました。    ほて幸:三重県鈴鹿市神戸2丁目 電話059-382-0088  (平成31年1月17日)

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伊勢型紙が新名神「鈴鹿PA」に展示されています

新名神高速道路 鈴鹿パーキングエリアの商業施設「PIT SUZUKA」には、随所に鈴鹿市の伝統工芸「伊勢型紙」が使われています。施設上り線(名古屋方面)入口には、伊勢型紙製品の展示コーナーも設けられています。伊勢型紙の魅力を発信する場となっています。(平成31年4月18日)

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三重県鈴鹿市庄内を訪ねて

平成31年4月2日 鈴鹿市庄内を歩きました。現地へはcーバスを利用しました。➀養福寺 東海白寿三十三観音霊場の16番札所です。 ②吉尾道場跡 東庄内町の八島川段丘上に立地し、浄土真宗高田派の布教拠点となった場所です。秀吉の峯城攻めの時の陣跡との伝承があります。高さ2mほどの土塁と北側土塁下方中段に帯曲輪と思われる段差が見られます。③庄内神社 庄内公民館の近くにあり、本殿は本格的な神明造です。桜とツツジが美しい神社境内です。④興隆寺 西庄内町の臨済宗東福寺派寺院。住職さんから禅宗について話を聞きました。境内のイチョウは、幹回り5mの巨木です。

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豊川海軍工廠・三河国分尼寺

平成31年3月17日 新しくできた愛知県豊川市の豊川海軍工廠平和公園と三河国分尼寺跡史跡公園を見てきました。豊川海軍工廠跡には、土塁で囲まれた火薬庫跡や信管置場跡などが整備されて見学できます。平和交流館では米軍空襲の悲惨な写真など展示されています。 三河国分尼寺跡には発掘調査によって確認された伽藍配置が復元されており、中門と回廊の一部が実物大復元されています。三河天平の里資料館では、国分尼寺跡とともに三河国分寺跡や三河国府跡の発掘調査情報を展示しています。

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