愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-4 戦後の愛宕地区  昭和22年~昭和57年

1-4 戦後の愛宕地区   ①昭和22年 米軍撮影航空写真 ②昭和27年 愛宕小学校は昭和25年開校  ③昭和31年  ④昭和34年  ⑤昭和57年          ③昭和31年写真には、三重県農業試験場(現・鈴鹿市江島台1丁目)に松池が隣接しています。農業試験場南側に白子駅から続く旧関西急行電鉄引込線跡が残っているのが見て取れます。 昭和28年進出した大東坊鈴鹿工場(鈴鹿市岸岡町)は、平成14年操業停止し平成16年撤退しました。 鈴鹿海軍航空基地跡(現・鈴鹿市旭が丘)に飛行機格納庫跡5棟が確認できます。鈴鹿工業高等専門学校は、昭和37年4月鈴鹿電気通信学園(飛行場の格納 庫)に仮校舎で開校しました。志願倍率25倍の難関を突破した132名が第1期生として入学しました。昭和38年4月現在地の新校舎に移転し、逐次、管理棟、実験棟、陸上競技場などが整備されました。