愛宕の歴史 【1】愛宕地域の移り変わり 1-2 江戸時代 1-2-2 幕末・明治初期の神戸城

1-2 江戸時代  1-2-2 幕末の神戸城  <元神戸藩城地ノ図(三重県所蔵)>

小藩である神戸藩は、本田忠統が入部した江戸中期享保17年(1732)には町屋戸数582軒・人口2,520人、武家屋敷40軒余武士150人余の小さな城下町でした。  (参考:「三重県史通史編近世2」 p.127)  明治2年(1869)6月藩籍奉還により、神戸藩主は知藩事に任命され、神戸城内に神戸藩庁が開設されました。明治4年(1871)7月廃藩置県により神戸藩は神戸県となり知藩事は免職となり、旧知事は9月東京へ移住しました。明治4年11月神戸県は廃され、安濃津県に統合され、明治5年三重県に改称されました。明治9年渡会県と合併して現在の三重県となりました。(参考:「鈴鹿市史3巻」p.36 「三重県史資料編近代1」p.118 )   絵図「元神戸藩城地ノ図」には建物玄関先に旧字で「県庁」の文字が書かれています。元知事私邸はこの建物奥(北側)にありました。明治4年11月渡会県に合併されるまでの4か月間神戸県庁が城内二の丸に置かれていたときの図です。元知事私邸が撤去されているため、知事が去った後の明治4年の神戸城図と思われます。(鈴鹿市史3巻p.38の図には元知事私邸が描かれています。) 明治4年から8年に城は解体され、現在は城地の大部分は県立神戸高校敷地となっています。