愛宕の歴史

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愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-2 江戸時代 1-2-3 江島村小笠原領

1-2-3 江戸時代 江島村小笠原領  小笠原氏は、河曲郡江島村・柳村、奄芸郡木鎌村に2,500石、常陸国に2,000石、総計4,500石の旗本でした。江島村に陣屋を構えていました。  文化元年「小笠原領地図」には紀州領との境界が描かれています。愛宕山・地蔵堂・富士山・若宮社の地名が読み取れます。

 

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-3 伊勢街道 1-3-1 現在も使われている伊勢街道 

1-3-1  現在も使われている伊勢街道
伊勢路見取絵図第3巻」文化3年(1806)には、四日市日永~神戸~白子~津に至る江戸時代の伊勢街道が描かれています。写真絵図は、江島村の部分です。伊勢街道は江戸幕府が整備した脇街道で、日永の追分から東海道と別れ伊勢に至る街道です。江戸時代は東海道に次いで交通量が多く、賑やかな街道だったようです。江戸時代の街道ルートが現在も生活道路として使われています。 大正9年伊勢街道は道路法では国道1号とされ、昭和27年に国道23号と改定されました。

 

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-3 伊勢街道 1-3-2 古い面影を残す街並み

1-3-2 伊勢街道の街並み《古い面影を残す家》  旧伊勢街道の江島~白子~寺家には、古い面影を残す家が多く見られます。格子のある伝統的な家構え、格子・そで壁・幕板・虫こ窓など町屋建築の風情を感じさせる伝統家屋が残っています。江島・白子・寺家の家並みは、平入り屋根と切子格子(親2本 子2本)が特徴です。

 

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-3 伊勢街道 1-3-3 伊勢街道 現在の家並み

1-3-3 伊勢街道 現在の家並み
玉垣町の街道屈折箇所には目印として道標が設置されています。北江島町には街道沿いに白江野用水が流れています。東江島町の家並みは直線でなくギザギザとなっています。江島本町や白子本町には今も重厚な伝統家屋が残っています。

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愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-4 戦後の愛宕地区  昭和22年~昭和57年

1-4 戦後の愛宕地区   ①昭和22年 米軍撮影航空写真 ②昭和27年 愛宕小学校は昭和25年開校  ③昭和31年  ④昭和34年  ⑤昭和57年          ③昭和31年写真には、三重県農業試験場(現・鈴鹿市江島台1丁目)に松池が隣接しています。農業試験場南側に白子駅から続く旧関西急行電鉄引込線跡が残っているのが見て取れます。 昭和28年進出した大東坊鈴鹿工場(鈴鹿市岸岡町)は、平成14年操業停止し平成16年撤退しました。 鈴鹿海軍航空基地跡(現・鈴鹿市旭が丘)に飛行機格納庫跡5棟が確認できます。鈴鹿工業高等専門学校は、昭和37年4月鈴鹿電気通信学園(飛行場の格納 庫)に仮校舎で開校しました。志願倍率25倍の難関を突破した132名が第1期生として入学しました。昭和38年4月現在地の新校舎に移転し、逐次、管理棟、実験棟、陸上競技場などが整備されました。