原永春日神社の歴史(神社祠の裏に保管されている棟札より転記)
・宝暦3年(1753)遷宮春日太明神(最初の棟札、その後も約20年毎に遷宮) ・明治35年 遷宮 ・明治42年 若松村南若松原永にあった春日社を小川神社に合祀 ・ 大正4年 神社跡地に遥拝所を設置し祭典を執行 ・ 昭和3年 小川神社から分神を受け原永春日神社誕生 ・ 昭和29年 遷宮 ・昭和54年 遷宮 ・ 平成7年 稲荷神社造営(建替) 秋の例祭では2台の神輿(みこし)が原永地内を曳きまわされます。
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愛宕の歴史 【4】愛宕地域の祭礼・伝統行事 4-3地蔵堂
愛宕の歴史 【4】愛宕地域の祭礼・伝統行事 4-4 菅原社
愛宕の歴史 【4】愛宕地域の祭礼・伝統行事 4-5愛宕神社
愛宕の歴史 【5】産業・交通 5-1白江野用水 5-1-1 水路建設
5-1-1 白江野用水(しろえのようすい)水路建設
武道館北側~江島台~旧伊勢街道沿い~地蔵堂~江島神社東側に白江野用水が通っています。 白江野用水は、明治13年(1880)用水建設の試掘願いが出され、明治14年工事を着工し明治20年鬼ケ淵にたどり着きました。しかし、水量不足から第2水源を求め、明治28年葉山川(現在の平野川)の引き込み口を、さらに鈴鹿川堤防外に湧水池を作り水源地としました。 現在の水源地は、鈴鹿川堤防拡張工事により現位置に移設されたものだとのことです。 工事期間15年、延長約10kmの農業用かんがい用水路です。「白江野用水」の名称は、白子・江島・野町の3か所の村の頭文字をとったものです。 参考:「白江野用水百年のあゆみ」白江野土地改良区(昭和54年)
愛宕の歴史 【5】産業・交通 5-1白江野用水 5-1-2 水源地
愛宕の歴史 【5】産業・交通 5-1 白江野用水 5-1-3 用水路工事
5-1-3 白江野用水の用水路工事 参考:白江野土地改良区「白江野用水百年のあゆみ」
本田技研工業鈴鹿製作所北側にあった旧平田野中学校前の深い掘割は用水建設当時のありさまを残す唯一の遺構でしたが、現在は埋め立てられ難工事であったことを知ることができません。白江野用水は、現在も農業用水として利用されています。
愛宕の歴史 【5】産業・交通 5-2伊勢型紙 5-2-1 小本(こほん)<伝統文化の継承>
5-2 伊勢型紙
5-2-1 伊勢型紙 小本(こほん)
伊勢型紙の制作工程で最も重要で精緻な技術を必要とする小本(こほん)が、平成30年11月愛宕公民館に寄贈されました。平成31年1月11日小本の原本は鈴鹿市文化財課に移管しました。 小本は型紙職人の技術の結晶で、職人が廃業とともに処分するため、一般的には出回ることがほとんどありません。
<行程> ①図案の素描⇒ ②小本の彫刻(四方に送り星の付いた型紙を彫刻)⇒ ③小本写し(小本を型地紙に刷毛で文様を写す。)⇒ ④彫刻(文様を彫り進める)
伊勢型紙の製作技術は、わが国の染色工芸の基盤といえ、芸術的・工芸史的にも重要であり、地方的特色の顕著な工芸技術として高く評価されています。平成5年(1993)「伊勢型紙彫刻技術」が国重要無形文化財に指定され、「伊勢型紙技術保存会」が国の重要無形文化財「伊勢型紙」の保持団体に認定されました。会員12名 、伝承養成者17名。伝統文化の継承に重要な役割をはたしています。 伊勢型紙彫職人は、江戸後期文政6年(1823)には寺家村163人、白子村45人(両村で208人)を数えるが 江島村は不明となっています。(参考:「三重県史 通史編 近世2」p.349) 昭和27年は型紙彫刻150人、型地紙製造20人となっています。(参考:鈴鹿市大観)
愛宕の歴史 【5】産業・交通 5-2 伊勢型紙 5-2-2 型地紙
愛宕の歴史 【5】産業・交通 5-3 昔の田植え 5-3-1愛宕地域近隣の田植え