愛宕公民館 五月人形武者飾り Warrior doll

 

愛宕公民館エントランスで五月人形武者飾りを展示しています。地域の人から愛宕公民館に寄贈していただいたものです。 a warrior doll that is displayed in the Boy’s Festival of Japan.  ( 愛宕公民館 令和3年4月11日)

IMG_0013 (2)

2021年4月11日 | カテゴリー :

スタイロフォームで虎を制作

秋に予定している来年の干支「虎」の制作講座の準備を始めました。虎のデータ収集(写真、模型など)⇒ 型紙作成 ⇒ スタイロフォームにスチロールカッターで形どり ⇒ カッターナイフと鉄ヤスリで成形 ⇒ 水性ボンドで和紙(100均)を貼り付け ⇒ 色付け     (令和3年4月11日 令和3年4月7日 愛宕公民館)

IMG_0003 (2)IMG_0005 (2)IMG_0009

IMG_0011

a-23 (2)(写真は順次に追加していきます。)

2021年4月7日 | カテゴリー :

桜の森公園の桜が満開です

桜ー1

 

 

桜の森公園(三重県鈴鹿市南玉垣町)の桜が満開です。桜の森公園は鈴鹿医療科学大学白子キャンパスに隣接した広い公園で、ちびっこ広場、遊具広場、ウオーキングコースなど備え、防災機能をもつ公園として平成27年開園しました。桜の名所として多くの人が訪れます。入園無料。 (令和3年3月29日 愛宕公民館)

桜8-2桜9桜7桜4桜6)桜5桜1桜2桜3

歴史講座「愛宕地域の歴史」/ 近鉄名古屋線軌間拡幅工事記録映画

愛宕公民館歴史講座 令和3年3月16日 ① 愛宕地域づくり協議会(愛宕公民館)が情報・写真収集して編集したホームページ「愛宕の歴史」を歴史講座として解説しました。岸岡山古墳群、伊勢街道絵図、鈴鹿海軍航空基地、祭礼・伝統行事、懐かしい写真など、愛宕地域の歴史をプロジェクター・スクリーンを使って紹介。 ② 近鉄が名古屋線の伊勢湾台風復興と軌間拡幅工事を行った工事記録映画(昭和34年 40分)を視聴。 「伸びゆく近鉄・名古屋線軌間拡幅工事の記録」 近鉄は名古屋線の広軌化を昭和33年から計画し準備を進めていたところ、昭和34年9月伊勢湾台風により名古屋線は甚大な被害を受けました。しかし、台風による水没区間災害復旧を機に、名古屋線80km標準軌化を一挙に完工する事業を完了し、62日間で全線復旧、広軌化を成し遂げました。「伸びゆく近鉄」は半世紀以上も前に作られた工事記録映画ですが、近鉄の歴史を知る貴重な記録映像です。記録映像DVDは歴史講座で使用することで近鉄から借用しました。

kintetu4isezimitori1sitirinkyou

愛宕の歴史 【 目 次 】

愛宕の歴史 【目次】 企画:愛宕地域づくり協議会 編集:鈴鹿市立愛宕公民館
1 愛宕地区の移り変わり
     1-1 古代~中世 1-2 江戸時代 1-3 伊勢街道 1-4 戦後の愛宕地区 1-5 愛宕地区の区画整理
2 愛宕小学校と周辺地域の公共施設
   2-1 愛宕小学校  2-2 三重県農業試験場  2-3 鈴鹿市立体育館  2-4 愛宕公民館
3 鈴鹿海軍航空基地
4 愛宕地域の祭礼・伝統行事
    4-1 江島神社  4-2 春日神社 4-3 地蔵堂 4-4 菅原社  4-5 愛宕神社
5 産業・交通
    5-1 白江野用水  5-2 伊勢型紙  5-3 昔の田植え 5-4 近鉄
6   昭和天皇の鈴鹿市行幸
7 懐かしい写真
* 参考文献・資料
  問い合わせ:鈴鹿市立愛宕公民館 電話059-388-5909 
   ≪ホームページ画像の無断転載・頒布を禁じます。≫
  <制作:令和3年2月>

 

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-1 古代~中世 

【1】愛宕地区の移り変わり 1-1 古代~中世 

岸岡町の南に続く丘陵地は、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代、そして中世城跡を含む複合遺跡となっています。古墳、古窯、集落跡など確認されています。海岸近くは弥生時代の遺跡が分布しています。かつて岸岡山を中心に50基ほどの古墳群があったとされていますが、現在は現存22基、消滅18基(1号墳は調査の結果、古墳でなかったため欠番)となっています。

岸岡山古墳群 - コピー古墳の変遷

sitirinkyou

 

写真は、愛宕2号墳から出土した銅鏡「七鈴鏡」です。径11.8㎝。鈴鏡(れいきょう)は古墳時代後期に製造された銅鏡で、7個のうち4個が欠損し3個が付設しています。振ると良い音がします。 25号墳・27号墳では家形埴輪が出土しています。平成9年の公園管理用道路建設のための調査では、弥生後期の竪穴住居跡33棟が発掘されています。

 中世城址の岸岡城跡は、古墳を利用して作られており、城主佐藤中務は神戸氏の配下で高岡城主の山路弾正とともに神戸六奉行の一人でした。

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-2 江戸時代 1-2-1 大名の領地

1-2-1 江戸時代 大名の領地 (伊勢国絵図)
江戸時代の大名の領地は、幕府が公称していたのは「領分」で、「藩」の呼称は明治時代から使われました。
玉垣村、肥田村、土師村は津領、矢橋村は神戸領、柳村は旗本保田(やすだ)領と一部神戸領、岸岡村は亀山領と一部旗本保田領、江島村は旗本小笠原領(柳村の一部)と距離に関係なく支配が入り組んでいました。

isekuniezutizumark

 

愛宕の歴史 【1】愛宕地域の移り変わり 1-2 江戸時代 1-2-2 幕末・明治初期の神戸城

1-2 江戸時代  1-2-2 幕末の神戸城  <元神戸藩城地ノ図(三重県所蔵)>

小藩である神戸藩は、本田忠統が入部した江戸中期享保17年(1732)には町屋戸数582軒・人口2,520人、武家屋敷40軒余武士150人余の小さな城下町でした。  (参考:「三重県史通史編近世2」 p.127)  明治2年(1869)6月藩籍奉還により、神戸藩主は知藩事に任命され、神戸城内に神戸藩庁が開設されました。明治4年(1871)7月廃藩置県により神戸藩は神戸県となり知藩事は免職となり、旧知事は9月東京へ移住しました。明治4年11月神戸県は廃され、安濃津県に統合され、明治5年三重県に改称されました。明治9年渡会県と合併して現在の三重県となりました。(参考:「鈴鹿市史3巻」p.36 「三重県史資料編近代1」p.118 )   絵図「元神戸藩城地ノ図」には建物玄関先に旧字で「県庁」の文字が書かれています。元知事私邸はこの建物奥(北側)にありました。明治4年11月渡会県に合併されるまでの4か月間神戸県庁が城内二の丸に置かれていたときの図です。元知事私邸が撤去されているため、知事が去った後の明治4年の神戸城図と思われます。(鈴鹿市史3巻p.38の図には元知事私邸が描かれています。) 明治4年から8年に城は解体され、現在は城地の大部分は県立神戸高校敷地となっています。

kanbehanzu

 

 

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-2 江戸時代 1-2-3 江島村小笠原領

1-2-3 江戸時代 江島村小笠原領  小笠原氏は、河曲郡江島村・柳村、奄芸郡木鎌村に2,500石、常陸国に2,000石、総計4,500石の旗本でした。江島村に陣屋を構えていました。  文化元年「小笠原領地図」には紀州領との境界が描かれています。愛宕山・地蔵堂・富士山・若宮社の地名が読み取れます。

ezimamuratizu

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-3 伊勢街道 1-3-1 現在も使われている伊勢街道 

1-3-1  現在も使われている伊勢街道
伊勢路見取絵図第3巻」文化3年(1806)には、四日市日永~神戸~白子~津に至る江戸時代の伊勢街道が描かれています。写真絵図は、江島村の部分です。伊勢街道は江戸幕府が整備した脇街道で、日永の追分から東海道と別れ伊勢に至る街道です。江戸時代は東海道に次いで交通量が多く、賑やかな街道だったようです。江戸時代の街道ルートが現在も生活道路として使われています。愛宕公民館では、絵図のうち、鈴鹿川から寺家の部分を常設展示しています。  大正9年伊勢街道は道路法では国道1号とされ、昭和27年に国道23号と改定されました。

isezimitori2isezimitori1