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戦争遺跡「海軍伊賀上野航空基地 掩体壕」

 

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三重県伊賀市には、かつて海軍航空基地がありました。滑走路跡は、戦後、緑ケ丘中学校・上野東小学校・工場などになり、現在では伊賀国分寺周辺に土製掩体の一部が残るだけです。昭和22年の米軍空中写真には、滑走路跡、誘導路跡、掩体壕跡が撮影されています。緑ケ丘中学校グラウンドが滑走路の横幅になるので、滑走路の幅の広さがよく分かります。鈴鹿海軍航空基地の避難地にされたと考えられます。掩体壕は、伊賀国分寺の四方を囲む南側土塁に沿って2か所現存しています。掩体壕Aは前半部が削られていますが、壕幅は概測27mほどあるので海軍一式陸上攻撃機(全幅24.88m)が収容できる大きさです。掩体壕Bは、壕土塁は形状をよく留めていますが中心部は池となっています。米軍撮影空中写真の<赤印>が現存掩体壕跡。三重県鈴鹿市に残る陸軍飛行場掩体壕との形状の違いがよく分かります。  (愛宕公民館 令和2年1月10日)

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伊賀国分寺跡の伽藍

国史跡「伊勢国分寺跡」(三重県鈴鹿市国分町)の保存整備が完了したことにあわせ、同じ三重県内に残る国史跡「伊賀国分寺跡」と比較するため、名阪自動車道に接して存在する現地を訪問確認しました。国史跡「伊賀国分寺跡」(三重県伊賀市西明寺字長者屋敷)は、奈良時代に建てられた国分寺の跡で、東西約220m、南北約240mの規模の土塁状の遺構に四方を囲まれています。中門、金堂、講堂が南北に並んで建てられ、基壇跡がわずかな高まりとして残存しています。中門と金堂を結ぶ回廊や講堂の背後には僧房と考えられる建物跡が判明しています。伊賀国分寺跡の東側には、国分尼寺と推定できる長楽山廃寺跡(国史跡)があります。尼寺跡にも、金堂、講堂と想定される基壇跡や築地跡と見られる土塁があるとのことですが、草木で覆われ中に入れませんでした。参考1:三重県教育委員会「三重県の文化財」p.291、p.292  参考2:国分寺跡伽藍⇒HP「伊賀市教育委員会 伊賀国分寺跡  (愛宕公民館 令和2年1月10日) 

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伊勢国分寺の伽藍配置

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国史跡「伊勢国分寺跡」(三重県鈴鹿市国分町)は保存整備事業が終了し、来年度には歴史公園として供用開始となります。建物復元はありませんが、鈴鹿市が公表した復元イラストで具体的な伽藍配置がイメージできます。遺跡の規模は鈴鹿市考古博物館3階展望デッキから全景を見ることができます。復元イラストに描かれている七重塔、鐘楼、経蔵は、発掘調査で遺構が発見されていないため、想定復元です。国分尼寺は、現在の国分町集落のところではと考えられています。 参考1:伊勢国分寺跡⇒HP「鈴鹿市考古博物館」 HP⇒史跡伊勢国分寺跡の概要 国分尼寺は塔を持たない伽藍とされています。参考2:三河国分尼寺⇒HP「三河国分尼寺跡史跡公園」   (愛宕公民館 令和元年7月18日)

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愛宕公民館エントランスの正月準備

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愛宕公民館のエントランス壁面に、絵手紙サークルが作成した正月用絵手紙寄せ書きを展示しました。(愛宕公民館 令和元年12月23日)

2019年12月23日 | カテゴリー :

日本の近代土木遺産「めがね橋・ねじり橋」三岐鉄道北勢線 (いなべ市員弁町)

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三岐鉄道北勢線(三重県いなべ市員弁町)には、美しい曲線を持つコンクリートブロックアーチ橋があります。大正5年に竣工した橋梁は「めがね橋」「ねじり橋」の愛称で地元の方々に親しまれています。 めがね橋:全国に数多く存在する眼鏡橋の中でも、大変珍しいコンクリートブロック製です。三連式のアーチが美しく、北勢線の代表的な撮影スポットです。 ねじり橋:「六把野井水」に架かる橋で、橋と用水が斜めに交差するため、アーチ橋下部のブロックは、ひねりを入れて積まれています。現存するコンクリートブロック製の橋では唯一といわれる大変貴重な橋です。大正15年に竣工したこの2橋は土木学会選奨土木遺産です。三岐鉄道「北勢線情報」土木学会選奨土木遺産 めがね橋・ねじり橋のご案内HP⇒「めがね橋・ねじり橋」 (愛宕公民館 令和元年12月20日)

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2019年12月23日 | カテゴリー :