現存する旧陸軍飛行場掩体壕跡

掩体配置図 - コピー掩体壕跡 (2) - コピー

 

三重県鈴鹿市追分町から椿一宮町にかけて旧陸軍の飛行場が作られたことは、地元でもあまり知られていません。東名阪自動車道鈴鹿ICから北側に大規模な十文字の滑走路が建設されました。現状は一面の畑が広がっていて、滑走路の痕跡は全く残っていません。当時は木々に囲まれていました。飛行場の正式名称は不明で、飛行場に勤務していた人にも知らされていませんでした。鈴鹿市発行の「鈴鹿市のあゆみー軍都から平和都市へー」(平成14年発行)では「椿秘匿飛行場」と仮称しています。 この飛行場に勤務していた人から当時の話を聞くことができました。陸軍の爆撃機が離着陸し、置かれていた自転車には「各務原航空廠亀山分廠」の表示があったそうです。滑走路は幅が100mほどあり舗装されおらず、飛行機の離着陸は爆音と砂ほこりで分かったとのこと。

飛行場周辺には、飛行機を隠すための誘導路や多くの掩体(掩体壕)が作られ、昭和22年の米軍空中写真から存在が確認できます。現在、誘導路や掩体壕は撤去され、その位置すらはっきりしませんが、掩体壕の一部が林の中に残されていました。この残存する掩体壕の実測確認をしました。3体の掩体壕が明確な形で残っており、特に1体の土塁は、ほぼ完全な形で残存しています。壕内径は約21mあり、双発爆撃機を格納できる大きさです。掩体壕の底部は小石が多く散在しており、爆撃機の荷重に耐えるため近くの内部川から運び込まれたものでしょうか。誘導路と思われる跡も残っています。掩体壕の位置については、浅尾悟氏の著書「鈴鹿市の戦争遺跡」(平成27年発行)を参考に現地を特定しました。(愛宕公民館 平成28年2月17日調査)