戦争遺跡「海軍伊賀上野航空基地 掩体壕」

 

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三重県伊賀市には、かつて海軍航空基地がありました。滑走路跡は、戦後、緑ケ丘中学校・上野東小学校・工場などになり、現在では伊賀国分寺周辺に土製掩体の一部が残るだけです。昭和22年の米軍空中写真には、滑走路跡、誘導路跡、掩体壕跡が撮影されています。緑ケ丘中学校グラウンドが滑走路の横幅になるので、滑走路の幅の広さがよく分かります。鈴鹿海軍航空基地の避難地にされたと考えられます。掩体壕は、伊賀国分寺の四方を囲む南側土塁に沿って2か所現存しています。掩体壕Aは前半部が削られていますが、壕幅は概測27mほどあるので海軍一式陸上攻撃機(全幅24.88m)が収容できる大きさです。掩体壕Bは、壕土塁は形状をよく留めていますが中心部は池となっています。米軍撮影空中写真の<赤印>が現存掩体壕跡。かつて鈴鹿海軍航空基地につくられた掩体壕は現存していないため、この伊賀市に残存する掩体壕から類推できます。また、三重県鈴鹿市に残る陸軍飛行場掩体壕との形状の違いがよく分かります。  (愛宕公民館 令和2年1月10日)

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