愛宕の歴史 【 目 次 】

愛宕の歴史 【目次】 企画:愛宕地域づくり協議会 編集:鈴鹿市立愛宕公民館
1 愛宕地区の移り変わり
     1-1 古代~中世 1-2 江戸時代 1-3 伊勢街道 1-4 戦後の愛宕地区 1-5 愛宕地区の区画整理
2 愛宕小学校と周辺地域の公共施設
   2-1 愛宕小学校  2-2 三重県農業試験場  2-3 鈴鹿市立体育館  2-4 愛宕公民館
3 鈴鹿海軍航空基地
4 愛宕地域の祭礼・伝統行事
    4-1 江島神社  4-2 春日神社 4-3 地蔵堂 4-4 菅原社  4-5 愛宕神社
5 産業・交通
    5-1 白江野用水  5-2 伊勢型紙  5-3 昔の田植え 5-4 近鉄
6   昭和天皇の鈴鹿市行幸
7 懐かしい写真
* 参考文献・資料
  問い合わせ:鈴鹿市立愛宕公民館 電話059-388-5909 
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  <制作:令和3年2月>

 

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-1 古代~中世 

【1】愛宕地区の移り変わり 1-1 古代~中世 

岸岡町の南に続く丘陵地は、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代、そして中世城跡を含む複合遺跡となっています。古墳、古窯、集落跡など確認されています。海岸近くは弥生時代の遺跡が分布しています。かつて岸岡山を中心に50基ほどの古墳群があったとされていますが、現在は現存22基、消滅18基(1号墳は調査の結果、古墳でなかったため欠番)となっています。

岸岡山古墳群 - コピー古墳の変遷

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写真は、愛宕2号墳から出土した銅鏡「七鈴鏡」です。径11.8㎝。鈴鏡(れいきょう)は古墳時代後期に製造された銅鏡で、7個のうち4個が欠損し3個が付設しています。振ると良い音がします。 25号墳・27号墳では家形埴輪が出土しています。平成9年の公園管理用道路建設のための調査では、弥生後期の竪穴住居跡33棟が発掘されています。

 中世城址の岸岡城跡は、古墳を利用して作られており、城主佐藤中務は神戸氏の配下で高岡城主の山路弾正とともに神戸六奉行の一人でした。

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-2 江戸時代 1-2-1 大名の領地

1-2-1 江戸時代 大名の領地 (伊勢国絵図)
江戸時代の大名の領地は、幕府が公称していたのは「領分」で、「藩」の呼称は明治時代から使われました。
玉垣村、肥田村、土師村は津領、矢橋村は神戸領、柳村は旗本保田(やすだ)領と一部神戸領、岸岡村は亀山領と一部旗本保田領、江島村は旗本小笠原領(柳村の一部)と距離に関係なく支配が入り組んでいました。

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愛宕の歴史 【1】愛宕地域の移り変わり 1-2 江戸時代 1-2-2 幕末・明治初期の神戸城

1-2 江戸時代  1-2-2 幕末の神戸城  <元神戸藩城地ノ図(三重県所蔵)>

小藩である神戸藩は、本田忠統が入部した江戸中期享保17年(1732)には町屋戸数582軒・人口2,520人、武家屋敷40軒余武士150人余の小さな城下町でした。  (参考:「三重県史通史編近世2」 p.127)  明治2年(1869)6月藩籍奉還により、神戸藩主は知藩事に任命され、神戸城内に神戸藩庁が開設されました。明治4年(1871)7月廃藩置県により神戸藩は神戸県となり知藩事は免職となり、旧知事は9月東京へ移住しました。明治4年11月神戸県は廃され、安濃津県に統合され、明治5年三重県に改称されました。明治9年渡会県と合併して現在の三重県となりました。(参考:「鈴鹿市史3巻」p.36 「三重県史資料編近代1」p.118 )   絵図「元神戸藩城地ノ図」には建物玄関先に旧字で「県庁」の文字が書かれています。元知事私邸はこの建物奥(北側)にありました。明治4年11月渡会県に合併されるまでの4か月間神戸県庁が城内二の丸に置かれていたときの図です。元知事私邸が撤去されているため、知事が去った後の明治4年の神戸城図と思われます。(鈴鹿市史3巻p.38の図には元知事私邸が描かれています。) 明治4年から8年に城は解体され、現在は城地の大部分は県立神戸高校敷地となっています。

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愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-2 江戸時代 1-2-3 江島村小笠原領

1-2-3 江戸時代 江島村小笠原領  小笠原氏は、河曲郡江島村・柳村、奄芸郡木鎌村に2,500石、常陸国に2,000石、総計4,500石の旗本でした。江島村に陣屋を構えていました。  文化元年「小笠原領地図」には紀州領との境界が描かれています。愛宕山・地蔵堂・富士山・若宮社の地名が読み取れます。

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愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-3 伊勢街道 1-3-1 現在も使われている伊勢街道 

1-3-1  現在も使われている伊勢街道
伊勢路見取絵図第3巻」文化3年(1806)には、四日市日永~神戸~白子~津に至る江戸時代の伊勢街道が描かれています。写真絵図は、江島村の部分です。伊勢街道は江戸幕府が整備した脇街道で、日永の追分から東海道と別れ伊勢に至る街道です。江戸時代は東海道に次いで交通量が多く、賑やかな街道だったようです。江戸時代の街道ルートが現在も生活道路として使われています。愛宕公民館では、絵図のうち、鈴鹿川から寺家の部分を常設展示しています。  大正9年伊勢街道は道路法では国道1号とされ、昭和27年に国道23号と改定されました。

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愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-3 伊勢街道 1-3-2 古い面影を残す街並み

1-3-2 伊勢街道の街並み《古い面影を残す家》  旧伊勢街道の江島~白子~寺家には、古い面影を残す家が多く見られます。格子のある伝統的な家構え、格子・そで壁・幕板・虫こ窓など町屋建築の風情を感じさせる伝統家屋が残っています。江島・白子・寺家の家並みは、平入り屋根と切子格子(親2本 子2本)が特徴です。

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愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-3 伊勢街道 1-3-3 伊勢街道 現在の家並み

1-3-3 伊勢街道 現在の家並み
玉垣町の街道屈折箇所には目印として道標が設置されています。北江島町には街道沿いに白江野用水が流れています。東江島町の家並みは直線でなくギザギザとなっています。江島本町や白子本町には今も重厚な伝統家屋が残っています。

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愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-4 戦後の愛宕地区  昭和22年~昭和57年

1-4 戦後の愛宕地区   ①昭和22年 米軍撮影航空写真 ②昭和27年 愛宕小学校は昭和25年開校  ③昭和31年  ④昭和34年  ⑤昭和57年          ③昭和31年写真には、三重県農業試験場(現・鈴鹿市江島台1丁目)に松池が隣接しています。農業試験場南側に白子駅から続く旧関西急行電鉄引込線跡が残っているのが見て取れます。 昭和28年進出した大東坊鈴鹿工場(鈴鹿市岸岡町)は、平成14年操業停止し平成16年撤退しました。 鈴鹿海軍航空基地跡(現・鈴鹿市旭が丘)に飛行機格納庫跡5棟が確認できます。鈴鹿工業高等専門学校は、昭和37年4月鈴鹿電気通信学園(飛行場の格納 庫)に仮校舎で開校しました。志願倍率25倍の難関を突破した132名が第1期生として入学しました。昭和38年4月現在地の新校舎に移転し、逐次、管理棟、実験棟、陸上競技場などが整備されました。⑤昭和57年写真には、江島土地区画整理事業が始まった年ですが、田園が広がっていた様子が分かります。

①昭和22年(1947)

①昭和22年(1947)

②昭和27年(1952)

②昭和27年(1952)

③昭和31年(1956)

③昭和31年(1956)

④昭和34年(1959)

④昭和34年(1959)

⑤昭和57年(1982)

⑤昭和57年(1982)

愛宕の歴史 【1】愛宕地区の移り変わり 1-5 愛宕地区の区画整理

1-5 愛宕地区の区画整理
<江島地区> 現在の中江島・南江島・新江島地区は、一面、水田だったところを昭和57年から実施された鈴鹿都市計画事業江島土地区画整理事業により、現在のような宅地、道路、街路灯、公園などが整備されました。 施行面積:423ha 換地処分公告:平成11年2月2日 写真は昭和62年11月
<原永地区> 昭和57年7月起工し、昭和63年3月竣工しました。面積150ha。富士見ヶ丘公園に竣工記念碑が設置されています。

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